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otak.ayan Part3

takayanの「オタク」部分に関する記事を掲載します。過去にアキバ系SNS「Filn」に掲載した「オタク系」記事の一部も転載しています。

「二重の壁」を作る男子たちとその理由――「百合男子」に関する一考察

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「二重の壁」を作る男子たちとその理由――「百合男子」に関する一考察

「受を犯したい」と言えても「攻に犯されたい」と言えない腐女子 - 青柳美帆子 - note より:

腐女子の性欲について話す前に、少し『百合男子』の話をします。
(中略)
「我思う、ゆえに百合あり。だがそこに我、必要なし」
この「名言」が、私は本当に嫌いでした。
今から偏見を口にします。
すごく「自意識過剰」に思えるのです。

 「受を犯したい」と言えても「攻に犯されたい」と言えない腐女子 - 青柳美帆子 - note という文章が気になりました。

 以前から、このテーマについて、いくつも仮説を作ってきている私なのですが、今度こそはまともな仮説が作れそうなので、少し考察を加えてみます。

 この記事のコメント(cakes/noteに登録し、ログインしないと見られません)に、こんな文章がありました。

「受を犯したい」と言えても「攻に犯されたい」と言えない腐女子 - 青柳美帆子 - note へのとあるコメントより:

 百合男子の言説についてですが、私(男性:ヘテロセクシャル)が思うに、男性の性欲を捨てさるその背景には男性性への嫌悪感があるのではないかと思います。
 実は私も、某百合作品を読んでいて男性キャラが登場したときに「汚らわしい!」と思ったんですよ。「我、必要なし」に近いのですが、それよりは男性性が持つ一種の暴力みたいなものを感じたというほうが正しいと思いました。

 実は、「我思う、ゆえに百合あり。だがそこに我、必要なし」の第一文と第二文との間には、ひとつの飛躍があります。正しく言うなら、こうなるでしょう。

「我思う、ゆえに百合あり。だがそこに《男》、必要なし。よって我も必要なし」


 以上を前提に、もう少しきちんと謎解きをしていきましょう。

 まず、この「百合世界に《男性》がいてはならない」というのが、少なくない男性にとって「百合」作品を楽しむための「壁」になります。「自意識過剰」なのではなくて、「当事者視点で楽しむことができない」、すなわち「遠くから眺める」楽しみ方しかできない、これが「第一の壁」です。

 この「第一の壁」は、決して自らの男性性を捨ててはいません。むしろ男性であることは固く保持している。それが、きっと青柳さんには「自意識過剰」に見えたのでしょうが、決してそうではないのです。むしろ乙女の園に女装美少年が潜入する話であるところの「おとボク」シリーズについていろいろな言説を聞いている私は、女装主人公の力を借りて「おとボク時空」なる(擬似)百合世界にダイブできてしまう男性の方が、よほど「自意識過剰」なのだ、という意見が存在することを知っていますし、それを支持する人も少なくありません。

 むしろ問題はその先です。「第一の壁」を作って「男子禁制の(純粋)百合世界」を作り出した《鑑賞者》は、そこが「ひたすら美化された世界」であることを求めます。さきほどのコメントの最後にはこうあります。

「受を犯したい」と言えても「攻に犯されたい」と言えない腐女子 - 青柳美帆子 - note へのとあるコメントより:

 女性同士の恋愛というのは、暴力的な性が介在しない、100%の純愛なんですよね(もちろん完全な幻想だとは分かっていますが笑)。

 そこには、男性にありがちの「暴力的な性のすがた」が描かれてはいけない、と言っています。すなわち、「男子禁制の(純粋)百合世界」は、「男性中心のホモソーシャルからは完全に隔離された世界」でなければならない、と定義していることになります。これがコメントにある「男性性への嫌悪感」の正体であり、百合男子が作る「第二の壁」です。しかし、ここで注意すべき点があります。この定義系は、「男子禁制の(純粋)百合世界」を楽しむ上においてのみ、男性は男性の性の暴力性がそこに介在しないことを前提としなければならない、としか言っていないわけです。これは、「男子禁制の(純粋)百合世界」を楽しむことにおいて、男性の性の暴力性を「棚上げ」し、自分はその外側である「男性としての自分にとって安全な世界」(=男性中心のホモソーシャル)において、安心してその作品世界を楽しむための理屈です。すなわち、男性の性の暴力性については何ら問題にしたくないゆえの定義付けなのです。そこには「百合世界での女性同士の関係性に暴力的な性がはいりこむことは許せないが、その外側において暴力的な性がはいりこむことは一切否定しない」という明確なダブルスタンダードが存在します。「男性中心のホモソーシャル」における男性の性の暴力性を、この立場をとる《鑑賞者》たちは決して否認しないのです。

 ここまでの分析によって、この定義系が、「百合世界」の《鑑賞者》としての《男性》の立場を守ることを前提としている、ということが明らかになりました。すなわち、自分たちが「安心して」「百合世界」を楽しむために、「女性同士の恋愛は純粋で素晴らしいものだ!」と女性を礼賛できる閉鎖的な環境を構築しておき、その外側にある「男性中心のホモソーシャル」が保つべき規範としての「男尊女卑」に何の傷もつけない、実にうまい「言い逃れ」を行える定義系を作っているのです。そして、この「言い逃れ」は女性だけの世界の中に《男性》が混じることによって、いとも簡単に通用しなくなってしまうので、「百合世界」に《男性》が混ざりこむことは、何としてでも否定しておく必要があるのです。「男性としての自意識過剰」は、ここにこそ存在するのではないでしょうか。

 ※追記:同じく青柳美帆子氏が、「〈わたし〉のいない世界は尊い――ファンタジーとしてのBL世界」という文章で「私は「作品やカップリングは自分と切り離して鑑賞するのが望ましい」という考え方の持ち主です。」と述べているのですが、百合男子は以上のことから当然切り離して観賞しています。「おとボク時空」にダイブできる人が非難されるのは、主人公視点を獲得できるからであり、作品世界を自分から切り離していないからです。ただ、それは「自意識過剰」なのではなく、作品を心から楽しむために「あえて」そういうことができる「想像力」の持ち主である、ということに過ぎません。そして、そのスキルを身につけた者は、百合作品の世界にも同様にダイブできるようになる、すなわち「百合男子」に描かれている男子とは違う百合作品の楽しみ方をも実践していくのです。


 ※追記2:この稿について、Twitter DMでちょっとした論議がありました……というか、お相手の方に私から頼んだのですが(お恥ずかしい)。お付き合いいただいたことの感謝と、こういう風にしかできなかった(=アドバイス頂いたことを自分の中でいまだに昇華できていない)ことへのお詫びとともに、その内容をここに公開し、この稿に関する問題点の修正とさせていただきたく思います。DMでのやりとりなので Tweet Card は出せませんし、お相手の方の名前は伏せさせていただきます。

(お相手)(註:引用したnoteの文章を)読んでる最中です。気になったところをメモがてら残してみます。
「我思う、ゆえに百合あり。だがそこに我、必要なし」、「我思う、ゆえに百合あり」と「そこに我、必要なし」はなぜ順接でなく逆接なのか、本質っぽいのですが参考先に考察なし。

――このあと、お相手に本文をお読みいただき、対話が始まります。実際の対話においては、一度に二つの論点について話しているので、時系列はあえて崩し、どの論点に関しどういう論議をしているのかがよりわかりやすくなるように再構成しています。――

(お相手)そこには、男性にありがちの「暴力的な性のすがた」が描かれてはいけない、と言っています。すなわち、「男子禁制の(純粋)百合世界」は、「男性中心のホモソーシャルからは完全に隔離された世界」でなければならない、と定義していることになります。 ここの、論理の飛躍についてちょっと解説願い。

(自分)ありがとうございます。論理が飛躍している、と言われればそれまでなのですが、「男性中心のホモソーシャル社会」=「男性にありがちな暴力的な性のすがたが許容される社会」です。
男性性が暴力を内在するかどうかではなく、男性に許されているかどうかという視点こそ強調したいところです。

(お相手)「男性中心のホモソーシャル」における男性の性の暴力性を、この立場をとる《鑑賞者》たちは決して否認しないのです。 今いただいた回答で、ここが理解できた気がします。男性性の暴力性を「現実で認めているかどうか」は百合男子を定義してくるものとは関係ない予感。

(お相手)文脈に沿ってそのまま読むなら、「男性性そのものが内在する暴力」であって、ホモソーシャル関係ないです。(男性性が暴力を内在するかどうかの事実確認は横に置いといて)

(自分)おっしゃる通りです<男性性の暴力性を「現実で認めているかどうか」は百合男子を定義してくるものとは関係ない
多くの「百合男子」たちは、それについて意識していないのです。だからそのことを論じること自体が「ありえない」。

(お相手)自分はその外側である「男性としての自分にとって安全な世界」(=男性中心のホモソーシャル)において、安心してその作品世界を楽しむための理屈です。 ここが一番の違和感でした、なぜ百合世界の「外側」を定義してあげる必要があるのか。

(自分)要するに、「百合男子」の不思議を解決するには、その楽しみ方ではなく、男性の根底にあるジェンダー的な視点が切り離せない、と気づいたからこそ書いている文章です。そして、定義しているのは「百合世界の『外側』」ではなく「百合世界の『鳥籠』」です。

(お相手)成る程納得しました。わかりやすいように、「外側と対比して」鳥籠の中を定義しようとしている、ということですね。ただ、これだと「外側」に違和感のある手合いには納得できない文章になる。私見では「性欲をガチで抑圧されたぼっち」が百合男子のメンタルモデルじゃないかなと思う次第です。

(自分)「性欲をガチで抑圧されたぼっち」が百合男子のメンタルモデル……なるほど。私とはそのあたりの考え方が違うようです。「傷つける性」であることの自覚がどう表面的な嗜好に現れてくるのか、という意味で、(お相手)の考え方は私とかなり異なりますね。

(お相手)ちょっと読み進めた。「その外側にある「男性中心のホモソーシャル」が保つべき規範としての「男尊女卑」に何の傷もつけない」が、多分私の最大の違和感ですね。単に、「自分自身をその外側に置くことで、自分の中の規範=メンタルに何の傷も付けない」くらいじゃないかなぁと。

(お相手)んで、↑に気がついたところでこの文章ホモソーシャルが全く関係ないことをここで腑に落ちたので、もう一回読み直してきます。

(お相手)おk、読み直したらすんなり頭に入りました。内側の鳥籠については異論ありませんし、すっきり理解できる感じですね。

(お相手)外側については、「結婚できる男子」「結婚できない男子」「特殊嗜好の女子」の3パターンくらい考えておくといいかもです。takayanさんは「結婚できる男子」、私は「結婚できない男子」のそれぞれ典型と思っています。

(自分)私も考え直し中。「性欲をガチで抑圧されたぼっち」=「男性の性の暴力性をさんざたたきこまれてそれを『絶対悪』だと認識している」ということでいいのでしょうか? 「傷つける性」定義にひたすら痛めつけられてどうしていいかわからなくなっている、という。

(お相手)はい、そんな感じです。男性性の暴力性は本質ではなく、単に伴っているだけのものである、という認識が足らんのですね。この認識が腑に落ちるには、恋愛・結婚・育児、くらいの衝撃的体験が必須と愚考します。

(自分)その認識を「衝撃的体験」でなく植え付けられる「性教育=生(の尊重)教育」がされていないことが、こういう「つまらない争い」のおおもとになっている上に、「衝撃的体験」から人々を遠ざけてしまっている、というのは何たる皮肉なのでしょう。

――ここで主要な論点についての話は終わり。以下、おまけ(と言いつつそれなりに重要な論点を含む)です。――

(お相手)こうして文章を読むと、瑞穂ちゃん(註:『処女(乙女)はお姉さま(ボク)に恋してる』の主人公・宮小路瑞穂のこと)のすごいところは「男性性」だけ持ってきて、「男性性の暴力」を一切持ち込まないことなのだなぁ、と改めて感じますね。文章化おつおつでした。

(自分)瑞穂ちゃんのすごいところは「男性性」だけ持ってきて、「男性性の暴力」を一切持ち込まないこと には残念ながら私は違和感を多少持っているのですが(特に奏ルートの7,8話)、2の千早(註:『処女(乙女)はお姉さま(ボク)に恋してる~2人のエルダー』の主人公・妃宮千早のこと)に関しては100%そうですよね。

(お相手)奏ルートだけじゃなく、まりやルートでも紫苑ルートでも、瑞穂ちゃんは「暴力装置」を上手く使ってると思います。暴力性が暴力に直結しない、という良い例なのかなぁと。悪いのは暴力であって暴力性じゃないんですよね。

(自分)「暴力装置を上手く使っていること」ならびに「悪いのは暴力であって暴力性ではない」ともに同感です。特に後者を峻別できていない人は(そこをいま認識した私も含めて)かなり多そう。

(自分)とりあえずそんなところでしょうか。本質的なツッコミをいただき、大いに感謝いたします。いただいたものをもう少し噛みしめて、さらに広く納得していただける文章にしたいと思います。

(お相手)暴力性と暴力を切り離すのは、修練あるのみですからね(これを人間性という)。私は逃げたいw

(自分)逃げたい、ですか。わかっていて逃げるのであれば問題ないのですが、ただ逃げているだけで本質を理解しておらず、理解しようともしない人たちが、「そういう」問題発言をしているのが実態なのでしょうね……。ありがとうございました。

(お相手)はーい、おつおつでした~

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