takayanの「オタク」部分に関する記事を掲載します。過去にアキバ系SNS「Filn」に掲載した「オタク系」記事の一部も転載しています。
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ただいまコメントを受けつけておりません。
記事《「おとボク2」はどんなプレイヤーをがっかりさせたのか――「(初代)おとボク」と「おとボク2」との違い・その1》のフォロー記事です。本当はもっと早くに書くつもりだったのですが、いろいろあって大幅に遅れてしまいました。ごめんなさい。
えっ? 「おとボク」で「ハイスペック」と言ったら、主人公(♂)と一部のヒロインぐらいじゃないの? とおっしゃいますか? 否。断じて否。「その1」記事に寄せられたMentionを取り上げつつ、プレイヤーが要求された「ハイスペック」について、確認していきましょう。
「おとボク2」はどんなプレイヤーをがっかりさせたのか――「(初代)おとボク」と「おとボク2」との違い・その1の記事中、「(2)「もうひとつの前提」編――前作に続き「おとボク2」に残した前提を忘れてしまった方々」節でツイートを取り上げさせていただいた方からMentionがありました。そこからの一連の流れを追っていきましょう。
@takayan1964 夜遅くにお疲れ様でした。記事読ませてもらいました。まず自分の意見を使っていただきありがとうございました、(2)の全てが自分のあの発言でよかったかどうかは心配なんですが…。
— キース(旧ミスター)@夏菜子推し (@nacs1202) 2014, 4月 12
@nacs1202 感想ありがとうございます。不本意と思われることは承知の上で、(2)の代表的なケースとして取り上げさせていただきました。フォロー記事を書かないといけないですね。少々お待ちを。
— takayan | タテ線の人 (@takayan1964) 2014, 4月 13
@takayan1964 お疲れ様です。自分もまさかそうゆう風な使い方をされるとは思ってなかったのは事実ですね。しかし自分の解釈が一つ足りていなかったというのもまた真実なので正直嬉しいような悲しいような満足しているところです。記事更新待っていますね。
— キース(旧ミスター)@夏菜子推し (@nacs1202) 2014, 4月 13
@nacs1202 どういたしまして。残念ながら、「解釈が一つ足りていなかった」のではなくて、プレイに当たってのご自身の位置取りの問題なので、それほど簡単ではありません。問題は、《「おとボク2」が、「第三者目線」でも普通に楽しめてしまう「構造」を持っていること》に潜んでいます。
— takayan | タテ線の人 (@takayan1964) 2014, 4月 13
@takayan1964 なるほど、その問題に自分は、はまっちゃったわけですね。やはりその辺りが女性プレイヤーにも入り込みやすくなった結果なんでしょうかね?
— キース(旧ミスター)@夏菜子推し (@nacs1202) 2014, 4月 13
@nacs1202 「鶏が先か卵が先か」問題になってしまっている(汗) 「おとボク」自体がもともと「マリみて」へのオマージュ含みで作られているがために、「女性向け」の要素がはじめからはいりこんでいたのが、……(字数が足りないので続く)
— takayan | タテ線の人 (@takayan1964) 2014, 4月 13
@nacs1202 (続き)「櫻の園のエトワール」が支持され「もっと関係性を持ち込んでいい」ということになり、「2」においては「関係性大幅重視」の物語を構築したがために、さらに女性プレイヤーがはいり込みやすくなった、ということだと思うのです。
— takayan | タテ線の人 (@takayan1964) 2014, 4月 13
@takayan1964 なるほど、理解できました。やっぱりこの作品は深いですね。1ももちろん女性プレイヤーが入り込み出来る作品だったのにも関わらずエトワールによって…ってところですか。路線変更とも言いますか、2で少し変えたんですね。
— キース(旧ミスター)@夏菜子推し (@nacs1202) 2014, 4月 13
@nacs1202 まあ、同人誌即売交流会に「櫻の園のエトワール」(ファミ通文庫版からみれば一部)を「ご自身の作品の二次創作」として持ち込まれた嵩夜さんご自身がいちばん驚かれたのではないか、と思いますが(苦笑)。それがあっての路線変更ゆえの「2」なのは間違いないところです。
— takayan | タテ線の人 (@takayan1964) 2014, 4月 13
@takayan1964 なるほど、作者が驚く…わからなくもないですね。このおとボクというシリーズがどれだけ色んな道を歩んだかわかりますね。そして今回の一連でまた2のことついて深くわかった気がします。
— キース(旧ミスター)@夏菜子推し (@nacs1202) 2014, 4月 13
この内容をもう少しわかりやすくなるように見ていきます。
またTogetterにまとめたもの――《「群像劇」を「群像劇」として理解してもらうための挑戦とその難しさ――「おとボク2」を題材として》――からの引用になるのですが、私は「おとボク2」に関する一連のツイートの中で、こう述べました。
で、残ったのはどんな人たちかというと、「第一話と第二話に秘められた意図」を理解できた(たぶん)ごく少数の人と、外伝小説兼1と2とをつなぐ物語である「櫻の園のエトワール」を正しく「群像劇」として理解することができた人たち(これは多かった)。 (8)
— takayan | タテ線の人 (@takayan1964) 2013, 3月 16
では、なぜ「櫻の園のエトワール」を「群像劇」として理解できた人が多かったか。答えは、そこには「女性」しか登場しなかったから。この物語の「主人公」である七々原薫子は、ちょっと男っぽいところもある書かれ方をしていますが、それでも悩む姿はどうしようもなく女性のそれでした。 (9)
— takayan | タテ線の人 (@takayan1964) 2013, 3月 16
「女の中に男が一人」の構造を「女性だけ」の構造に変化させることにより、それでも女性の登場人物に素直に感情移入できる人は普通に楽しめ、そうでない人も「遠くから眺める」しかない状態において、物語の世界観や雰囲気の助けを得て、「群像劇」の楽しみ方を覚えることができたのです。 (10)
— takayan | タテ線の人 (@takayan1964) 2013, 3月 16
さて、この(10)番のツイートの中に、ひとつの「問題点」が提示されています。それは、
そうでない人も「遠くから眺める」しかない状態において、~「群像劇」の楽しみ方を覚えることができた
……という部分です。最終的に「おとボク2」は、プレイヤーに
「女の中に男が一人」の構造を「女性だけ」の構造に変化させることにより、それでも女性の登場人物に素直に感情移入できる人
であることを求めました(※註1:「2」の男性主人公である千早は、その完璧な演技により、基本的に男性でないこと=「お姉さま」あるいは「天使さま」であること=にまったく違和感を覚えさせない造形をなされている)。この条件をクリアした方々は、個別ルート云々は別として、少なくとも共通ルートでの「関係性」の物語に大いに満足しているものと思われます。
しかし、「群像劇」は「遠くから眺める」楽しみ方を否定しません。「おとボク2」が「おとボク1」と大きく異なる点がここにあります。「1」が「主人公に感情移入できない人を拒否する」物語構造を持っていたのに対し、「2」は「主人公に感情移入できない人を積極的には拒否しない」物語構造になっているのです。《「おとボク2」が、「第三者目線」でも普通に楽しめてしまう「構造」を持っていること》というのは、このことを指します。しかし、「おとボク」の物語は、「1」「2」共通で「主人公への感情移入」(※註2:「2」での「主人公」は、男性主人公である千早と、女性主人公である薫子、実はどちらでも構わない。薫子経由千早への萌えは、第一話の中だけで十分に取得可能)を経由することにより、より他のヒロインへの萌えを獲得できる構造を持っています。よって、「遠くから眺める」楽しみ方では、主人公が、あるいはヒロインが、それぞれ他のキャラクターとの触れ合いを通して、どういう関係性を築き、どう自分を見直していくのか、という物語の本質を十分に楽しむことができないわけです。その結果、必然的に「キャラクターを楽しむ」以上の到達点を目指すことができなくなり、作品への満足度がハイスペックなプレイヤーに比べて低くならざるを得なくなってしまいます。
ここで、もうひとつ別のやりとりを見ていきましょう。これも実はフォロー対象記事への実質上のMentionからスタートしています。
カギ括弧付きの「ギャルゲ」=いわゆる「典型的な」それを期待すると、本当にそうなりかねません。 RT @kyogen_yukai: おとボク2にギャルゲ期待して始めると痛い目みるぞ。
— takayan | タテ線の人 (@takayan1964) 2014, 4月 13
@takayan1964 初代と2の違いについての記事を拝読して思った次第です。言われてみると2のヒロインは確かに「ギャルゲ」のヒロインらしからぬところが多いかと思いました。自分自身具体的なところは解っていないのですが。
— きょうげん愉快@全淑連 (@kyogen_yukai) 2014, 4月 13
(続き)そして、《2のヒロインは確かに「ギャルゲ」のヒロインらしからぬところが多い》について、私もそう思います。「主人公のために」ヒロインが存在するのではなく、あくまで千早がヒロインたちと一緒になってお互いを見直していく関係を前提としたヒロイン設定。 @kyogen_yukai
— takayan | タテ線の人 (@takayan1964) 2014, 4月 13
@takayan1964 そして、見直しと言う言葉がとてもしっくりときました。なるほど、成長と言うよりそういった方がより近いかも知れません。
— きょうげん愉快@全淑連 (@kyogen_yukai) 2014, 4月 13
「背中合わせに、あなたが知りたい」という言葉に隠された意味は、つまりはそういうことなのだ、と私は思います。 @kyogen_yukai
— takayan | タテ線の人 (@takayan1964) 2014, 4月 13
このやりとりからおわかりいただけるように、「キャラクターを楽しむ」、すなわち《典型的なカギ括弧付きの「ギャルゲ」》としての楽しみ方では、「おとボク2」での「関係性の見直し」という主題を十分に味わうことができません。あくまでも「感情移入」した先での「関係性を楽しむ」ことではじめて、それは実現できるのです。そして、「背中合わせ《に》、あなた《が》知りたい」が、個別ルートに行くと「背中合わせ《の》、あなた《を》知りたい」となる、そこに籠められた意味も、言い換えましょう、「史」ルートを除く各ルートがそれぞれあのようなエンドを迎える理由も、より深く味わえることになると思うのです。