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otak.ayan Part3

takayanの「オタク」部分に関する記事を掲載します。過去にアキバ系SNS「Filn」に掲載した「オタク系」記事の一部も転載しています。

「おとボク2」がプレイヤーに要求した「ハイスペック」について――「(初代)おとボク」と「おとボク2」との違い・その2

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「おとボク2」がプレイヤーに要求した「ハイスペック」について――「(初代)おとボク」と「おとボク2」との違い・その2

 記事《「おとボク2」はどんなプレイヤーをがっかりさせたのか――「(初代)おとボク」と「おとボク2」との違い・その1》のフォロー記事です。本当はもっと早くに書くつもりだったのですが、いろいろあって大幅に遅れてしまいました。ごめんなさい。

 えっ? 「おとボク」で「ハイスペック」と言ったら、主人公(♂)と一部のヒロインぐらいじゃないの? とおっしゃいますか? 否。断じて否。「その1」記事に寄せられたMentionを取り上げつつ、プレイヤーが要求された「ハイスペック」について、確認していきましょう。


 「おとボク2」はどんなプレイヤーをがっかりさせたのか――「(初代)おとボク」と「おとボク2」との違い・その1の記事中、「(2)「もうひとつの前提」編――前作に続き「おとボク2」に残した前提を忘れてしまった方々」節でツイートを取り上げさせていただいた方からMentionがありました。そこからの一連の流れを追っていきましょう。

 この内容をもう少しわかりやすくなるように見ていきます。

 またTogetterにまとめたもの――《「群像劇」を「群像劇」として理解してもらうための挑戦とその難しさ――「おとボク2」を題材として》――からの引用になるのですが、私は「おとボク2」に関する一連のツイートの中で、こう述べました。

 さて、この(10)番のツイートの中に、ひとつの「問題点」が提示されています。それは、

そうでない人も「遠くから眺める」しかない状態において、~「群像劇」の楽しみ方を覚えることができた

……という部分です。最終的に「おとボク2」は、プレイヤーに

「女の中に男が一人」の構造を「女性だけ」の構造に変化させることにより、それでも女性の登場人物に素直に感情移入できる人

であることを求めました(※註1:「2」の男性主人公である千早は、その完璧な演技により、基本的に男性でないこと=「お姉さま」あるいは「天使さま」であること=にまったく違和感を覚えさせない造形をなされている)。この条件をクリアした方々は、個別ルート云々は別として、少なくとも共通ルートでの「関係性」の物語に大いに満足しているものと思われます。

 しかし、「群像劇」は「遠くから眺める」楽しみ方を否定しません。「おとボク2」が「おとボク1」と大きく異なる点がここにあります。「1」が「主人公に感情移入できない人を拒否する」物語構造を持っていたのに対し、「2」は「主人公に感情移入できない人を積極的には拒否しない」物語構造になっているのです。《「おとボク2」が、「第三者目線」でも普通に楽しめてしまう「構造」を持っていること》というのは、このことを指します。しかし、「おとボク」の物語は、「1」「2」共通で「主人公への感情移入」(※註2:「2」での「主人公」は、男性主人公である千早と、女性主人公である薫子、実はどちらでも構わない。薫子経由千早への萌えは、第一話の中だけで十分に取得可能)を経由することにより、より他のヒロインへの萌えを獲得できる構造を持っています。よって、「遠くから眺める」楽しみ方では、主人公が、あるいはヒロインが、それぞれ他のキャラクターとの触れ合いを通して、どういう関係性を築き、どう自分を見直していくのか、という物語の本質を十分に楽しむことができないわけです。その結果、必然的に「キャラクターを楽しむ」以上の到達点を目指すことができなくなり、作品への満足度がハイスペックなプレイヤーに比べて低くならざるを得なくなってしまいます。
 ここで、もうひとつ別のやりとりを見ていきましょう。これも実はフォロー対象記事への実質上のMentionからスタートしています。

 このやりとりからおわかりいただけるように、「キャラクターを楽しむ」、すなわち《典型的なカギ括弧付きの「ギャルゲ」》としての楽しみ方では、「おとボク2」での「関係性の見直し」という主題を十分に味わうことができません。あくまでも「感情移入」した先での「関係性を楽しむ」ことではじめて、それは実現できるのです。そして、「背中合わせ《に》、あなた《が》知りたい」が、個別ルートに行くと「背中合わせ《の》、あなた《を》知りたい」となる、そこに籠められた意味も、言い換えましょう、「史」ルートを除く各ルートがそれぞれあのようなエンドを迎える理由も、より深く味わえることになると思うのです。

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「たかやん 」:「何か」にとち狂うと止まらない人。

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