忍者ブログ

otak.ayan Part3

takayanの「オタク」部分に関する記事を掲載します。過去にアキバ系SNS「Filn」に掲載した「オタク系」記事の一部も転載しています。

「おとボク2」はどんなプレイヤーをがっかりさせたのか――「(初代)おとボク」と「おとボク2」との違い・その1

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

「おとボク2」はどんなプレイヤーをがっかりさせたのか――「(初代)おとボク」と「おとボク2」との違い・その1

 こんなツイートが回ってきたので、ちょっと語ってみたいと思います。

 「おとボク2」は、「おとボク」(以下区別のために「(初代)おとボク」と記載します)と、いったいどこがどう違って、どんなプレイヤーをがっかりさせる結果になったのでしょうか?


 

 それでは、どこに問題があってどうがっかりした方がいたのか、いくつかの観点別に整理してみていくことにしましょう。

 

(1)「もともとの前提」編――「おとボク」の本来の面白さについて勘違いしてしまった方々

(a)初代自ら作り上げた「型」をあえて不採用にしたことの影響。

 「(初代)おとボク」は、いわゆる「男の娘×女」であるところの「女装主人公ゲーム」の流れを作ったゲームとして、「楽しみ方のポイント」をいろいろと生み出していきました。えっちシーンでのきまりとか、「主人公が女性になりきるための苦悩」とか、そのほかいろいろあるのですが、特に多くの「女装主人公ゲーム」ファンが楽しみにしているのが「いわゆる『男バレ』の場面をどう描いているか」なんですね。しかし、「おとボク2」は、この「型」を、ある一つのルートを除いてあえて不採用にしたわけです。むしろ、「おとボク2」では、一部のルートで『男バレ』をあえて序盤に持ってきた上で「主人公である千早があの世界に『いていい理由』をヒロインに語らせる《手段》として用いた」ことが非常に特徴的です。

 この結果、「(初代)おとボク」が作った「型」であるところの「いわゆる『男バレ』の場面をどう描いているか」を楽しみにプレイしている方々をがっかりさせる結果となったのです。

(b)「おとボク」に正しく萌えられなかったことに気づかないとどうなるのか。

 恐縮ですが「れ・ざむる~す」さんのレビューを例に取り上げていきます。そして、このレビューを信奉する方々によって、サイト内での「2010年 貴方が選ぶ後悔した作品」で事実上の一位となる結果も生んだことを申し添えておきます。

「れ・ざむる~す」の中の方のレビューより(太字は当記事筆者による、実際のレビュー文では別の部分が強調されている)

(前略)
素材的にはおとボクより良くなっているのにシナリオが全く良くなるような努力をしていなかったのには本気でガッカリしたわね。ただ前作を懐かしむだけの目新しさ皆無のシナリオで騙されるほど私の目は腐っていないわ。
(中略)
サブタイに『2人の~』とある以上、対等とか互角にあるべき存在なのに片方が負けてしまっているのではまさにタイトル負けしてしまっているのよね。お陰でますます善作(※原文ママ)と似た印象しか受けなかったわ(--
作中では視点が入れ替わったりしますけど普段から一緒にいるから入れ替わってもさほど活かされている印象もなかったですよね。
キャラクターのスペック的に完全に負けているし、対立軸もないから何のために視点を入れ替えているのかも疑問よね。早い段階で薫子が千早に対して降伏してしまってからは本気で見所が無くなってしまったのよね(--
(後略)

 前作の貴子シナリオを評価し(千早と薫子に「対立軸」を求めたことにそれが窺われる)、前作との(中の人なりの)「違いの発揮」を期待し、すべて裏切られた、という論調です。確かに《「(初代)おとボク」とシナリオが変わらない》ことを指摘されていた方も多いのですが、それより大きな問題が太字部分にあります。これらは、私が「『おとボク』の萌え構造」の「第二章/第三節」で述べた《主人公とヒロインとの「関係性」においてヒロインに萌える》こと、さらにはその次の「第二章/第四節」で述べた《ヒロイン同士の「関係性」において他のヒロインに萌える》ことについて、正しく「関門」を抜けて来られなかった方に特徴的な感想です。なお、以下の「環境設定」=「ウインドウ色の変化」についても、正しく理解する必要がありました。

当ブログ内・別記事[それは、意外なところに「現れて」いた――主人公「一人称視点」を獲得し、保持するための「最重要要素」]より

 「おとボク」シリーズでは、主人公視点なのかそうでないのかをウインドウで区別できるように、システムが組まれています。そこまでして、「主人公一人称視点」を保持して欲しい、とスタッフが考えている証拠です。また、主人公視点でないときには、ヒロイン間の関係性を意識してテキストを読むことができます。

 


 

 二つほどツイートを挟んでおきましょう。私は後者のツイートには完全には賛同しかねます(理由はこの記事を最後まで読まれればおわかりいただけるかと)が、その「方向性の違い」についてわかりやすく述べられています。また、ツイート内で「1」とか「無印」とかは「(初代)おとボク」を指します。

 これらを私なりにもう少し噛み砕いて言うと、こういうことになります。
 「(初代)おとボク」は、《プレイヤーに「理想の女学院の雰囲気・世界観」を体験してもらうための作品》であって、そのために困惑する主人公がプレイヤーが同化しやすい対象として必要でした。ただし、物語が進んで行くにつれ、徐々に話の中で「関係性」のウエイトが高まるように作られていました。そしてここまで正しく理解できてはじめて、「(初代)おとボク」に正しく萌えた、ということができるのです。
 それに対して「おとボク2」は、当初は外伝小説として出された「櫻の園のエトワール」の存在を「前提」および「前段」として、《女学生同士の心の交流にもっとはいりこんでもらうために、主人公すら群像劇の一メンバーとして完全に溶け込んでしまうことが求められる物語構造を持った作品》(これは「群像劇」であるために当然必要とされる条件でもある)になっています。そのために、主人公は初期からその演技力で「完璧」さを演じていきますし、そこには特に苦もないように見えます。

 そして、これらの違いがわかる方にとっては、次のツイートのような感想が生み出されるのです。

 キャラクターの「動かし方の違い」は、もちろん「主人公の(主人公を中心とした)物語」なのか、「群像劇」なのか、の違いによるところが大きいわけです。それゆえ、「(初代)おとボク」のアニメ化作品が(大勢の生徒からの)「お慕い申し上げております」という意味での「お姉さま~!」という呼びかけで終わる、というとてもわかりやすい状況を生んだこともまた事実なのですが。

 


 

(2)「もうひとつの前提」編――前作に続き「おとボク2」に残した前提を忘れてしまった方々

 実は、さきほどの《 》で囲った部分は、私がある目的で連投したツイートのうちのひとつ、さらにその一部を取り出したものなのですが、全体はこうなります。

(※このツイートを含んだまとめ[「群像劇」を「群像劇」として理解してもらうための挑戦とその難しさ――「おとボク2」を題材として]は、前節を理解する上での助けにもなりますので、ご参考にどうぞ)

 「(初代)おとボク」に続き、実は「おとボク2」も、本来の楽しみ方のためには、まず「主人公を好きになり、主人公視点を獲得する」ことが大前提となります。そうでないと、「主人公にいったん感情移入してもらった上で、女学生同士の心の交流にもっとはいりこんでもら」うことはできません。このことについては「『おとボク』の萌え構造」の補遺-その3でたっぷり述べているのでそちらに譲りますが、この点でちょっと残念だったのが、この方の見方でした。

 この一連のツイートは、「(初代)おとボク」と「おとボク2」、どちらがよりいいか? というタイムラインの流れがあって生み出されたものなので、多少は割り引いて考える必要はあります。ただ、さきほど引用したこのブログの別記事内の記述にもあった通り、「おとボク」シリーズについては、作る側がプレイヤー側に「主人公一人称視点」を獲得し、それを保持して欲しい、と強く望んでいるのです。そして、それぞれ第一話の途中あたりから、そのことを前提としてテキストが綴られていきます。幸いにも「群像劇」である「おとボク2」は、それゆえ「第三者視点」でも充分に楽しめるのですが、やはり特に主人公とヒロインとの関係性を積極的に楽しむためには、「主人公一人称視点」でのプレイはとても重要なことであり、それを「(初代)おとボク」では獲得できたものの「おとボク2」では獲得できなかったこの方が、「1の瑞穂のときのように千早が成長したという風には感じることが出来なかった」と綴ったのには、そういう「前提」があったからだと思うのです。そしてまた、これもそこそこ見られる「おとボク2」の感想でもあります。

 


 

 今回は、「おとボク2」が、どんなプレイヤーの方々をがっかりさせたのか、という観点から、「(初代)おとボク」と「おとボク2」との違いについてお話ししましたが、その一方で「おとボク2」からはいって普通に楽しめた方々もまたいらっしゃいます。基本的には「エロゲー」に対する「主人公中心の物語」「ヒロインのキャラクターを楽しむ」といった「先入観念」がない、かつ「群像劇」に慣れている方々であると思います。また、「おとボク2」は「(初代)おとボク」に比べて(※メインが「男性向け」であることには変わりないが、作品のバランスがどうかを考えたときに)より「女性向け」に作られた作品であることから、女性の方々が「(初代)おとボク」に比べてより入り込みやすかったであろうことは想像に難くありません。

 ここまでお読み頂き、ありがとうございました。このテーマについては、もう少し話すべきことがあると思っています。また材料を探して、お話しさせていただきます。何かご意見、ご質問とかありましたら、コメント欄に残していただくか、Twitterで@takayan1964までメンションいただければ、ありがたくお返事させていただきますし、またそれが次回の話のテーマになるかも知れません。どうぞよろしくお願いいたします。

 それともう一つ、これはあくまでもたくさんリクエストが集まったら、ではありますが、「『おとボク2』の萌え構造」について、きちんとまとめてみたいと思います。2015年の「おとボク」10周年を祝して、来春の「コミケットスペシャル」にでも出展できればいいかな、と思っているところです。リクエストもご意見、ご質問と同じ方法でどうぞ。

 ……それでは、また次回をお楽しみに。

拍手[0回]

PR

コメント

ブログ内検索

プロフィール

HN:
takayan
性別:
非公開
自己紹介:
「たかやん 」:「何か」にとち狂うと止まらない人。

このブログでは、takayanの「オタク」部分に関する記事を掲載します。Twitter ID:takayan1964


バーコード

P R