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otak.ayan Part3

takayanの「オタク」部分に関する記事を掲載します。過去にアキバ系SNS「Filn」に掲載した「オタク系」記事の一部も転載しています。

それは、意外なところに「現れて」いた――主人公「一人称視点」を獲得し、保持するための「最重要要素」

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それは、意外なところに「現れて」いた――主人公「一人称視点」を獲得し、保持するための「最重要要素」

 この文章はあくまでも仮説=個人的見解として書くものなのですが、自由に議論してもらうために(ロジックが破綻しない限りにおいての反論歓迎)公開するものです。また、 「『おとボク』の萌え構造」の補遺として加筆する内容のひとつのアイディアでもあります。

 

 


 「『処女はお姉さまに恋してる』(通称:「おとボク」)シリーズにかなり似通った作品」として噂を聞いた Navel さんの新作『月に寄りそう乙女の作法』(通称は「つり乙」なんだそうですね)が気になったので、体験版をプレイしてみました。その ファーストインプレッションは Twitlonger に書いた のでそちらを見ていただくとして、いろいろともやもやしていたものが解決しそうなので、その内容をここにメモしておきます。

 

  ファーストインプレッションでも触れているように、私は「つり乙」体験版においても、主人公に感情移入するばかりでなく、「主人公一人称視点」を確保してプレイすることを求めました。もちろん、「お姉さま」と「付き人」という立場の違いは理解した上で、その作品世界にどれだけ没入できるか、を試したわけです。そして、その結果は、没入できる場面もあるものの、全体的には「否」というものでした。しかし、巷の感想や某巨大掲示板群の書き込みを見ている限り、そんなことは気にならない、といった様子が目立ちます。いったいこの違いはどこから来るのか、という「本質の追究」に関して、私のファーストインプレッションでは、それは「テキストに問題があるのでは?」という指摘をしています。しかし、それ以上に重要な点が一つありました。

 

 これもファーストインプレッションに書いたことですが、主人公の姿形がはっきり出てくるのは、少なくとも体験版では「ここぞ」という場面ばかりで、日常のシーンでメイド服やら制服やらの主人公立ち絵を見る機会がまったくなかったんですね。たとえば、ブログ・エントリーで「YUKI」さんが「なんでそのシーン、もっと詳しく描写してくれないの!」と叫んだ、こんな場面。

 

「それから僕は、近くのホテルへ連れ込まれて、りそなに膝枕をしてもらいながら身体の回復を待った。」

 

 はい、夕焼け空の背景だけの画面に、地の文一文のみでございます。ブログでの感想を見る限り、 YUKI さんは重要「イベント」としてこの場面を捉えているように思えますが、この物語の構造から見る限り、妹(りそな)とふたり、という場面が、「非日常」ではなく(あるいは「非日常」の中の)「日常」として描かれていることに注目する必要があります。すると、この場面のCGがないことがどのような「意味」を持つのか、がよりはっきりすると思います。すなわち、 それが、「イベント」として見たときに強烈な「主人公(および妹)萌え」を誘発する、ということを含めて、意識したのかしていないのかにかかわらず、《作る側が「日常」モードにおいては主人公の絵は出さない、という選択をした》ということです。もちろん、このような選択のもとでは、屋敷内でメイド服を着ている「だけの」立ち絵や、校内で制服を着ている「だけの」立ち絵など、当然「必要がない」ということになります。

 

 さて、さきほどの場面は、「俯瞰的視点」から見ていれば、それだけで終わりかも知れません。しかし、「主人公一人称視点」で、作品世界の中にどっぷりと浸かった状態でこの場面に遭遇すると、《自分がいまこの作品世界にいる、ということを肯定してもらえない》という気持ちになるのです。それは「おとボク」シリーズと比較すればわかります。「おとボク」シリーズでは、通学路の場面で、あるいは寮内・校内での(作品世界内ではごくごく)日常的な場面で、主人公の立ち絵が普通に、いやむしろ頻繁にと言っていいでしょう、登場します。そのことで、主人公に感情移入していることを前提として、「主人公一人称視点」でプレイしているプレイヤーは、自らがその作品世界にいることを肯定してもらっている、と感じることができます。それゆえに、「主人公一人称視点」の保持も容易になるのです。さらに言うと、「膝枕」の場面は、当然「重要イベント」になります。第一作では主人公がヒロインを膝枕する場面、第二作では主人公がヒロインに膝枕される場面が出てきますが、どちらもCGが存在します。場面自体もヒロインと主人公とが関係性を深める役割を見事に果たしています。

 

 もちろん、テキストが果たす「主人公一人称視点」保持への役割は当然重要です。ただ、それだけがそれを保つための要素ではない、主人公の立ち絵や「ここぞ」ではない場面でのCGのほうがもっと重要な役割をする、ということが、この体験版から改めて意識されたような気がします。某所作品別スレにも、「朝日(主人公)の立ち絵修正パッチこないかな」という書き込みがあるようですね。 これは、特に「女装美少年」系主人公作品に特徴的なことではあるのですが、主人公の立ち絵は主人公への「萌え」を強化するためだけにあるのではない、という仮説が成り立つかと。

 

 (ついでに)「おとボク」シリーズでは、主人公視点なのかそうでないのかをウインドウで区別できるように、システムが組まれています。そこまでして、「主人公一人称視点」を保持して欲しい、とスタッフが考えている証拠です。また、主人公視点でないときには、ヒロイン間の関係性を意識してテキストを読むことができます。

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